またふたたびの 18 きっぷ.2(2003.8)

山陰へ.

山陽本線にて福山へ,ここで福塩線に乗り換え.途中,シートの上に土足でウンコ座りしているお兄ちゃんを発見.いったいどういう心境であんなことをするのか聞いてみたい気がする.バランス悪いし,たぶん電車が急ブレーキをかけたらなかなか面白いことになると思うのだが.

尾道を出てから約 1 時間 15 分後,終点の府中到着.この線は接続が悪いようだ.次はきっかり二時間後.

まあ,まだお昼を食べていないからちょうどいい.駅を出るとこんなところに宮脇書店が! すげー,全国展開じゃん.

二時間もあるんだから,その辺を観光してもよかったのだけれど,暑い.尾道を歩きまわったので少々疲れてもいる.そんなわけで,喫茶店で塩辛いサンドイッチなどを頂きつつ,時間を過ごす...

列車は本格的に中国山地に入り込み,おそろしく長いトンネルにもぐりこむ.まるで地下鉄に乗っていると錯覚しそうなほどだ.

それにしても,単線で,これだけ長く乗っているにもかかわらず,列車の行き違い待ち合わせがほとんどない.と,いうことは,つまり,走っている列車の本数自体がやたら少ないということだ.

府中を出ること 1 時間 45 分後,終点の三次到着.「みよし」と読む.ちなみに一個前の駅は八次.これは「やつぎ」.なんかややこしい.

三好では三江線に接続している.待ち時間はあまりない.でも・・・ 0 番ホームって,どこ?

0 番ホームは, 1 番ホームのずっと向こうの端のほうに追いやられていた.いかにも,あまり使っていませんよという感じである.何となくイヤな予感がする.これに乗ってしまっていいものだろうか.何もないところで放り出されるという事態にならないだろうか.

しかし,考えている時間はあまりない.心を決めて,乗り込む.これで終点の江津(ごうつ)まで行けば,日本海はもう目の前なのだ.

山間をひた走る.

三江線は,いかにも地方のローカル単線といった感じで,無人駅ばかりである.乗客のトイレのために出発を待ってくれるほどローカルな線なのだ.

大きな川に沿うように線路が走っており,徳島〜高知奥にかけて吉野川流域を走っているような感じ.・・・って,知ってる人にしかわからんだろーけど.

トンネルがたてつづけにいくつもある.数えたわけではないが,ざっと 30 個くらいあるのではないだろうか.たぶん,今わたしは中国山地の最奥部にいるのだろう.

なんだかひょろりとした,鉄道少年が乗っている.ちょっと停車時間の長い駅になると飛び出し,ニコンの一眼レフでもって駅舎の写真を撮ったりしている.

ほかにも,わたし同様貧乏旅行っぽい男性が乗っている.この人たちももしかしたら 18 きっぷかも知れない.

行違い待ちがあまりないな,と思っていたところ,「石見川本」で 20 分ほど停車となった.「いわみかわもと」,この「石見」というのが, JR でよくある,駅名重複を避けるための地域名らしい.外に出てみたが何もないので戻る.乗客はさっきの鉄道少年と,旅行中らしい男性二人,わたしを合わせて計四人のみ.

しかし,発車時刻が近づいてくると,学生が大勢乗り込んできた.学生たちを途中で降ろしつつ,列車は日本海へと走り,終点の江津に着くころは,またも乗客は四人になっていた.

三次を出ること 3 時間 20 分あまり.夜も更けた江津駅前は,非常に淋しかった.いちおう,山陰本線との合流地点のはずなのだが,目の前に小さなホテルがある以外は,コンビニの一軒すらない.当然ながら,駅員も誰ひとりいない.

とりあえず,目の前の「ホテルフジタ」に飛び込む.

フロントにいたのは,気のよさそうなオバさんだった.どこからいらしたんですか,との問いに,尾道から普通列車を乗り継いできた,と答えると目を丸くしている.

部屋はツインのシングル料金.ひろびろ〜〜である.

部屋でさっそく BS2 をつける. 2001 年宇宙の旅はもう始まっていた.なんかセリフがぜんぜんなくて,宇宙船内をただ歩き回っているので状況がよくわからないけど・・・.

2001 年では, HAL が叛乱を起こして乗組員を皆殺しにしてしまう.以前見たはずなのだが,ほとんどおぼえていない. HAL が読唇するところと,あと胎児のイメージくらいしか記憶になかった.最後のほうはほんとにもう,ワケわからん.

あ,このエンディングの曲,なんていうんだっけ.すごく有名なクラシック.「ツァトゥストラ」じゃないほう.ダンスしたりするやつだったかな? なんとかのワルツ?

しかし,旅行にきてまでテレビ見てるってのは,なんかむなしい気がするわ.

江津を出て

江津は,江の川の河口付近にある街だが,見事に何もない.←なんて失礼な言いぐさ^^;

江の川の読みかたって,「ごうのかわ」でいいのかな? とにかく,三江線で北上する間,ずっと寄り添って走っていた川だ.

江の川

この先,日本海に沿って山陰本線で上るか下るか.そういえば,山口県には行ったことがあるけれど,鳥取県にはまだ足を踏み入れたことがない.ここはやっぱり,鳥取に行って砂丘でも見てくるか・・・.

駅へ行って時刻表を見る.どうやら出雲より西は,列車の本数がとことん少ないようだ.さらに,路線図によると,鳥取に行くには非常に遠回りしていることも判明した.

昨日,福塩線を,終点の三次駅まで行ってしまったのがマチガイだったのである.塩町駅で乗り換えて芸備線,木次線と乗り継ぎ,宍道駅に出ればよかったのだ.

まあ,行き先の決まっていない旅行なんて,こんなものである.電車の出る時間までまだだいぶあるので,探検のつもりでそのあたりをちょっと歩いてみたが,コンビニも喫茶店もなく,なんか公共施設のようなちょっとしゃれた建物は見つけたがまだ開いておらず・・・仕方ないので駅に戻り, KIOSK のお結びをいただくことにする. KIOSK があってよかった.

そうこうしているうちに出発時刻が来た.穏かな日本海を眺めながら,「快速ワンマンライナー」とやらで,山陰本線を一路,東に向かう.

ひとりで出雲大社に行くのもなんかムナシイので,出雲は通過.だんだん人が増えてくる.

いつの間にか線路は内陸部に入り,日本海が見えなくなっている.また海岸ぶちを走らないかな〜〜と窓にへばりついていると,願いかなって海が見え始めた! ・・・と思ったら,違った.宍道湖である.広い!

行けども行けども,宍道湖畔.そのうち電車は,松江に停車する.江津から 2 時間ほど,座っているのも飽きてきたので,降りてみることにした.

松江というまち

じっくり見てまわったら,歴史もありそーだし,史跡もいっぱいあるし,にぎやかだし,楽しそうなところではあるのだが・・・.昨日尾道を気合を入れて歩いたせいか,筋肉痛なのである.あまり歩きたくない.いっそ今日中に鳥取まで行ってしまいたい.

とりあえず,ちょうどバス停に着た,市内巡回バスに乗ることにした.一律 200 円.なんか面白そうなところがあったら降りることにしようと,しばらくバスに揺られていると失敗に気づく.

わたしの乗ったのは,南巡回バスなのだが,めぼしい観光地はどちらかというと北の方向にあるようだ.北巡回バスに乗るべきだった.仕方ないので,松江の住宅街を眺めて一時間ほど過ごす.客はほとんどいない.

このまま松江駅に戻るのも何だかむなしいな,と思っていると,バスは島根県立美術館前に停車した.特別展示のポスターが貼られている.なんか見たことのある絵だぞ.

「モネと印象派の画家たち〜パリ・マルモッタン美術館コレクションを中心に」.思わずバスを降りてしまった.モネはわりと好きなのだ.

モネの絵って,透明感がある感じで,いい.有名な睡蓮の連作は,後半生のもので,最後のほうはモネも目を悪くして(白内障だったらしい),お気に入りの庭園もよく見えなくなっていたそうだ.それでもモネは,自分の中にある庭園の姿を描きつづける.迫力のあるタッチについて説明されていたが,そのあたりになると正直わたしにはよくわからない.

また,同時代の画家も展示されていた.ドガやルノアールなど,この時代は画家を多く輩出している.また,同時代の画家がモネの肖像画を描いていて,それを対比するのも何だか面白い.

売店では,モネの睡蓮をイメージした焼き菓子や和菓子などを販売していた.

モネを見終わって松江駅ゆきのバスを待っていると,レトロ風味なバスが来た.「ぐるっと松江レイクライン」という観光用のループバスだ.最初からこれに乗ればよかった.

レイクライン

運転手は女の人である.バスはいったん松江駅に戻ってから,市内の観光地を巡り始めた.カラコロ市場,松江城,ルイス・ C ・ティファニー庭園美術館などを巡るが,やっぱりどうも,歩くのが面倒だったので,松江城からカラコロ市場あたりの近場をうろうろして時間を過ごす.

松江城 松江城まわり

興味がないわけではないのだ.小泉八雲とか,カラコロ工房とか,宍道湖とか,松江フォーゲルパークとか.

しかし,やはり少し疲れているのだろうか.どうもあまり気が乗らない.そろそろ鳥取に向かうか,と駅に戻り,駅内の蕎麦屋で遅い昼食を取っていると,カウンターに座っていたオジさんが話し掛けてきた.

どこから来たのか,と言うので,香川からですと答えると,実に大げさに驚き,カウンター内のオバさんに,香川からだとー,などとしきりに感心している.

松江はどうですか,との問いには,ただ立ち寄っただけでもう出発します,とも答えられず,「今ついたところなので」とお茶をにごしてしまった.

遊覧船に乗ってみるといい,というオジさんに調子を合わせ,行く気もないのに,じゃあこれからいってみます,と答えて店を出る.行った先はもちろん鳥取行き電車のホーム.オジさんごめんなさい.

鳥取といえば砂丘

松江から米子までは 35 分ほどで到着した.米子駅のホームって,なんだかわかりづらかったが,米子発鳥取ゆきの快速を探し,乗り換える.そして気がつくと鳥取にいた. 1 時間 40 分ほど夢の中・・・.まあ疲れは取れたような気がする.

今日のお宿は,やはり駅前のニュー鳥取ホテル.今日はシングルだが,結構広い.時刻はまだ夕刻,ホテルに引っ込んでしまうのはまだ早い.といって観光には遅い中途半端な時刻だ.

ここはいっちょう,砂丘をめざしてみようと思い立つ.夜の砂丘には興味があるし,そもそも昼間なんか暑くて行けないんじゃないだろうか.

で・・・砂丘はどっちにあるんだ!?

見当をつけて歩き出す.途中バス停があって,「砂丘ゆき」となっているから,方向はあっているのだと思う.バスの時間は終わっていたけれど.

途中,神社の祭礼を眺めたり,商店街でウィンドウショッピングをしたり,パンを買ってかじりながら歩いたり.・・・

神社祭礼 水浄化システム

・・・・・・

いったいどれくらい歩けばいいんだ!?

だいたい,砂丘って海岸ぶちにあるはずなのに,どーして前方に山が見えるわけ!?

途中,観光案内地図を発見したので,よくよく見てみると・・・道は確かにあっている.この先しばらく行ってから,左に曲がればいいのだ.

しかし.

相当歩いた気がするのに,まだ三分の一くらいしか来ていないことがわかり,泣く泣くあきらめることとなった・・・.

翌朝.

「砂丘東口」でバスを降りると,分かれ道に案内板が立っている.三叉路で,右に上がっていく道と,左にやや下っていく道だ.

砂丘東口でバスを降りた人は 7 〜 8 人いたが,右へ行く人,左へ行く人,さまざまだ.案内板からすると,左に行けばいいのかな?

「ここを上に上がるんですよ.そしたら,砂丘全体を見渡せますから」

優しそうな女性の声.振り返ると,小柄なおばさんがニコニコして立っている.

「あ,そーなんですか?」

「ええ,リフトで下に降りるんです.眺めがいいですよ」

さそわれるまま,坂道を上がっていく.途中,ラッキョウ畑があるとか,いろいろ教えてくれた.上がりきったところには,売店らしい建物がある.

「屋上から,砂丘が見渡せますよ」

おばさんは,上品に会釈をして,足早に建物に入っていった.売店の店員さんだったのだろうか.

左手にはリフトがある.なるほどこれで下に降りるのか・・・?

・・・と思ったら,まだ動いていなかった.

やむをえず,売店の建物に向かう.売店はまだ開いていないが,屋上には上がれるようだ.眺めは確かに,悪くはない.砂丘のむこうに日本海が見える.

砂丘にはちらほらと黒い点が動いている.下の道に行った連中だ.やっぱり,案内板のとおり,ダイレクトに下に行けばよかったような気がする.

・・・ん?

何か,変なものが目に入ったような気がする.視線を戻すと・・・.

「ドライ」

ドライ

砂丘に,大書きされている.・・・しかし,なぜ「ドライ」!?

そのうちやっと,リフトが動き始めた.一番乗りである.

リフトに乗っているあいだは,まわりの木が高いせいで,砂丘自体はあまり見えない.ただ,木々の合間に,小さなピラミッドのようなものが見えた.何だろう?

リフトは短く,すぐに砂丘に到着.

さくさくと,スニーカーの足跡をつけながら歩くが,裸足で歩いている人が結構多いのに気づいた.それに倣い,わたしも靴と靴下を脱ぐ.砂の細かさ,足の裏ではらりと崩れる感じが心地よい.砂浜の砂とは,また少し違った気がする.

砂丘1 砂丘2

太陽を背に,丘を登る.まだ朝なのに,すでに砂は熱を持っている.昼頃には,砂は日差しに焼かれてしまい,裸足でなんか歩けないだろう.

急な斜面を,犬が駆け上っていく.勢いをつけて駆け上る子供のスピードがみるみる落ちていく.カメラを構える人がいる.汗をにじませながら上っていくと,丘の向こうに,日本海が見え始める.青い.

丘のてっぺんからの見晴らしは,なかなかのものだった.人間って,高いところに上ると高揚するものなのかもしれない.高所恐怖症のわたしでも,いい気分だ.

丘に登りきると,急に砂が冷たくなる.今は日が当たっているが,ちょっと前まではここはまだ日陰だったのだろう.ひんやりして,いい気持ち.

足の下のこの丘,下まで全部,細かい砂でできているのだろうか.

波打ち際は,はるか下にある.丘の上にはわたしも含め,かなりの観光客が座っているが,さすがに丘を降りて波打ち際にまで行くのは数人だ.降りられないことはなさそうだが,上るのがたいへんだろう.

しばし移動.

しばらくぼ〜〜っと座っていたが,人が増えてきたので,少し移動することにした.リフトのむこうから見えた,「ドライ」の文字のところまで行ってみることにする.

太陽を左頬に受けながら少し歩くと,足跡がだんだん少なくなり,砂が急に固くなる.固いといっても,体重をかけるとほろほろと崩れはするのだが,足の裏に当たる感触が違う.

しゃがんでよく見ると,足跡の隙間に,風紋というのだろうか,まだ踏み荒らされていない,風の跡が残っている.

風紋

花火の燃えカス.こんなところにごみを捨てるなんて,と憤慨しかけ,・・・そういえばここでごみを見るのはこれが初めてだと気づいた.

普通の砂浜なら,砂を踏んでいるのかごみを踏んでいるのかわからないほど,観光客が捨てたりどこかから流れ着いたりしたごみであふれているはず.ここにはそれがない.これだけ観光客がいるのに.

振り返ると,丘の上はさらに人が増え,丘に登るスロープは,黒い人影が次々と連なっていく.

砂山の斜面には,確かに「ドライ」の巨大な文字が刻み込まれていた.この文字,いったいいつまで残るのだろう.

斜面のゆるくなったところから下に降りると,水の流れたあとがあり,砂自体も少し湿っている.水の多い季節には実際に水が流れ,溜まっているのだろう.

靴を履き,砂丘を後にする.朝来たときにはまだいなかった,ラクダや馬車が人を乗せていた.「つきのさばくを〜〜は〜〜る〜〜ば〜〜ると〜〜」というフレーズが突然頭に浮かんでくる.もっともあの舞台は確か千葉あたりだったように思うが.

帰りは,松江でも乗ったような,観光ループバスに乗ることにする.朝も乗りたかったのだが,まだ動いていなかったのだ.

ループバスの停留所のそばに,リフトから見えた,ピラミッドがあった.砂丘の砂でできており,ラクダなども結構リアルに作られている.

ピラミッド

実は,先日, TV チャンピオンという番組で,砂の造型の選手権をしていたのを見たばかりである.なんだかとてもタイムリーだ.というより,砂丘に来てしまったのは,あの番組が頭の隅に残っていたせいかもしれない.

あの番組でも,砂でピラミッドを作っているチームがあった.何度も何度も雨に降られ,そのたびに作り直し,たいへんそうだった.

「ループ麒麟獅子」

変な名前だが,これがループバスの名称だ.車内案内に耳を傾けているとそのわけがわかる.鳥取には,麒麟獅子舞というのがあるのだそうだ.麒麟の獅子舞.つーか,それなら麒麟舞でいいよーな気がする.なんでわざわざ獅子をつけるんだろう.

麒麟獅子舞の起源は江戸時代.当時の若い藩主が,自分の力を認めさせるため,母方が徳川家の出であることを利用しようと,東照宮から神社を分家してもらい,そこに奉納するとしてはじめたのだという.

因幡の白兎の話も,車内放送で流れる.そういえば,あれって鳥取の話なんだよな〜〜.

麒麟獅子号はいったん鳥取駅に戻り,しばらく待ってから今度は南へ向かう.「ふるさと」や「朧月夜」を聞きながら(作曲者は鳥取出身らしい),因幡万葉歴史館でバスを降りた.

大伴家持や,伊福吉部徳足比売(いふきべのとこたりひめ)が,因幡の白兎を案内役に,コミカルに紹介されている.

伊福吉部徳足比売は,仏教が日本に入ってきたばかりのころ,当時珍しい火葬にされた女性である.骨壷が発掘されたということだが,なんだか不思議なような,物悲しいような,変な気がしてくる.この人の情報は,まず「死」がスタートなのだ.

ここには庭があり,一時期話題になった古代蓮が植えられていた.また,麒麟獅子舞の資料なんかも展示されている.

お腹がすいてきたので,歴史館の斜め向かいにあるレストランに入ってみる.「食文化体験施設 万葉の館」というところで,メニューは薬膳料理だった.どんなものが出てくるのかと思ったら,クコの実とか,松の実,蓮の実の入ったおかゆなど,好きなものばかり.しかも,薄味なのもいい.ここに来るまで,その存在すら知らなかっただけに,なんだかとても得した気分になった.

ふたたび麒麟獅子号にて鳥取駅へ・・・向かおうと思ったが,出発時刻までだいぶあったので,歴史館の一画にある「時の塔」に上がってみた.ここは,上り階段と下り階段が別々になっている二重らせん構造.これには覚えがある.会津若松の「さざえ堂」と同じつくりなのだ.

真下には,日時計が見える.しかし.うすぐもりで,よくわからない・・・.眺めは悪くないが,まどが鉄線入りのため,写真を取るにはあまり適さないなようだ.

う.なぜか,窓枠の金属部分に触れると静電気が走る.・・・コワイ.

バスが来たので,鳥取駅へ戻る.次は,因幡の白兎の,白兎海岸に行こうかと思ったが,天気が悪そうなので断念.かわりに,鳥取二十世紀梨記念館というところに行くことにした.

場所は,・・・倉吉.米子方面.ということは,逆戻りである. JR で一時間ほど,この時間から移動するにはちょっと遠いかなという気もしなくはないが,旅行に出ると妙にアクティブになってしまうものだ.その逆もあるけれど.(松江のときは逆パターンだったっけ・・・)

倉吉へ

このあたりには温泉が多いようだ.吉岡温泉,鹿野温泉,浜村温泉,東郷温泉,三朝温泉,はわい温泉. JR の乗客たちは,それらの温泉のどこかへ向かうのだろう,どんどん降りていく.そういえば鳥取温泉もあったんだっけ.

雨が降ってきたが,車窓の 1 時間のうちに止んだ.雨上がりで,少し涼しくなったような気がする.

倉吉駅でちょうど来たばかりのバスに乗った.・・・乗ってしまった.しかし,間違えたような気がしたので,すぐに降りてしまう.バス停のそばのコンビニで場所を確認.

・・・合ってたんじゃん!

慌てて,同じバス停から,次に来たバスに乗る.ところがこのバスが間違えていた.わたしってバカ?

まあいい.途中までは同じ道だ.分かれ道をすぎたところで降りて,あとは歩き.ややあって,奇妙な建物が見えてくる.たぶんあれだ.

二十世紀梨記念館は,倉吉パークスクエアの一角にあった.梨をかたどった,なかなか斬新な建物である.というか,倉吉パークスクエア自体,かなり斬新.とゆーよりバブリー.

二十世紀梨 パークスクエア

記念館に入ったところには,梨の大木があった.梨農家の展示,梨ロードの映像,などなど,なかなか勉強になる.

そして何より楽しいのは,梨の試食.おいし〜〜! 全部おいしい.食べ較べにならん.

海外の梨農家や梨農園の映像があった.梨は,もともとは中国南西部原産らしいが,そこから分かれ,ヨーロッパ梨とかアジア梨になったそうだ.アジア梨が最後にたどり着いたのが日本.ヨーロッパ梨はいわゆる洋梨だが,アジア梨=日本の梨とは違う感じがする.

日本で普通の,くびれのない梨って,よその国にはあまりないのかな,と写真を眺めていると,お隣韓国の写真に,日本のものとそっくりな梨があった.これが日本の梨のルーツなんだろうか.

品種名は「シンゴ」.漢字で書くと,「新高」.・・・日本の梨を韓国に持っていって栽培していただけだった.

梨といってもいろいろある.日本の梨はあまり大きくならないが,外国には,何メートルもの大木にはしごをかけて収穫する梨もある.

ところで鳥取梨栽培は,もともと岡山から来たものらしい.当時は赤梨が主流.その後,千葉で生み出された青梨である二十世紀梨を持ち込み,二十世紀梨特有の病気である黒斑病を克服しつつ一大産地へと成長を遂げた.

さて,本日のお宿は,ホテルセントパレス倉吉.今回の旅は,駅前ホテルばかりである.

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