黒部〜立山アルペンルート.2(2002.9)

一日を終えて・・・

今,私は,立山駅のすぐそばの,千寿荘というところにいる.きのう泊まった,ロッジくろよんとは大きな違いだ.

ちゃんとポットもお茶もある.浴衣もタオルも歯ブラシも机も座布団も,テレビも洗面台もある.テレビの下には,どういうわけか玉砂利まで敷いている.

昨夜,遊歩道を歩きつづけた結果,ロッジくろよんに到着し,畳しかない部屋に通されたときは愕然としたものだが・・・

ロッジに着いて(昨夜からの回想)

黒部湖脇にあり,人里からも離れていて,道といえば私が歩いてきたあの遊歩道しかない.食料品等も,あの道を使って運んでいるのだろう.

当然ながら電気は自家発電で,トイレの使用法も地下水を流しつつ使うという,ユニークなものである.

何にもない,六畳ばかりの部屋の中には,あちこち焦げてぼこぼしている畳が敷かれていた.

その日宿泊したのは,私以外は,中年のご夫婦一組のみだった.黒部ダム脇で宿をとる人はあまりいないのだろうか.

夕食時,そのご夫婦となんとなく言葉をかわしているうちに,おふたりが私の住んでいる町にも来たことがある,ということがわかった.観光地としては決してメジャーではないわが町に来たことがあるとは,かなりあちこち旅をしている行動派らしい.

ちょうど今,松本市で小沢征爾のコンサートをやっているらしく,聞きに行きたかったとしきりにもらしていた.チケットが買えなかったのだそうだ.

山間部は夜が早いということは,わかっていたつもりだったが,お風呂に入って食事を済ませてしまうと,もうやることがない.外は真っ暗で,出歩くわけにもいかない.テレビもないから,もう寝るしかない.

さいわい,ロビーに小説が何冊か置いてあったので,それを読んで時間をつぶした.高橋克彦のホラーなど,わりと趣味にかなったものが置いてあって助かった.

朝,朝食を済ませるとすぐに出発である.ケーブルカーに乗るため,遊歩道を通り,吊り橋を渡り,黒部湖駅に向かった.

まだ朝が早いので,人が誰もいない.なんだか景色を独り占めしているようで,いい気分だ・・・というのは,単なる負け惜しみかもしれない.朝が早すぎて,まだケーブルカーが動いていないのである.誰も来ないというのは,どこにも行けないという意味でもあった.

程なく,扇沢からのトロリーバスがついたらしく,人が現れ始める.ということは,そろそろ黒部平行きのケーブルカーも出るはずだった.

斜めのケーブルカー

これも,知識として,知ってはいた.急な坂を昇降するため,車両が斜めになってる.車内は段々になっており,なんだか変な感じだ.

このケーブルカーで黒部平駅まで上ってゆく.山を上っていくところを見られたら面白そうだが,すべてトンネル内というのがいささか残念ではある.

黒部平からは,ロープウェイに乗ってさらに上り,大観峰へ向かうのだが,ロープウェイが出発するまで少し時間があったので,あたりの景色に見とれて過ごした.

天気はやはりよくないが,幾重にも重なり合う峰が一望できる.上のほうが霧というより雲に隠されていた.視線を下をうつすと山の合間から黒部湖も見え,かなり上ってきたことが実感できる.

ケーブルカー 黒部平

景色に見とれていると,突然声をかけられた.同じロッジに泊まった,あのご夫婦である.もっとも,意外な再会というほどでもない.同じ方向へ向かっているわけだし,道はひとつしかない.一緒になるのは当然ありうることだった.

そのうち,ロープウェイの出発時刻となった.このロープウェイは,支柱が一本もないつくりになっているそうだ.

車内は狭く,また休日のせいで人も多いが,目的地はすぐそこ,見える場所にあるから,さほど苦痛ではない.窓の外の景色も美しい.

大観峰は黒部平より標高が高いため,眺めがよいのだろうと思っていたが,必ずしもそうではないようだ.というのも,濃い霧,もしくは雲がたちこめて視界を遮っていたからである.ケーブルカーのケーブルの先も,白い霧に呑み込まれている.

ロープウェイ 大観峰

ふっと一瞬,霧が晴れ,黒部湖が見える.しばらくするとまた霧があたりを覆い隠していく・・・

最高峰へ

大観峰から室堂までは,扇沢〜黒部ダム間同様,トロリーバスである.

やはり長いトンネルをとおってゆくのだが,このトンネル途中にも破砕帯があった.このあたりの山には多いのだろうか.

室堂は,アルペンルート最高峰だそうだ.ガイドブックによると,標高2450m.

白い.

ここも,白い霧があたりをすっかり覆っている.

そしてひどく寒い.さすがに,高所だけある.

トロリーバス 霧の室堂

黒部平,大観峰あたりでは,滞在時間も短かったせいかあまり感じなかったのだが,室堂高原を歩いていると寒さが体にしみこんでくるようだ.

そして,この匂い・・・.かすかに,硫黄臭いような.

とにかく,よく整備された,石畳の遊歩道を歩いてゆくことにした.遊歩道以外にはロープが張られ立入禁止になっている.植物を折ったり採ったりするのが禁じられているのはもちろん,中に足を踏み入れることすら許されない.自然区として,絶滅しかかっている動植物を保護しているのだ.

華やかでこそないが可愛らしい,色とりどりの高原の花が咲いている.

みくりが池という大きな池があり,黒部湖とおなじ色の水をたたえていた.霧はあいかわらず濃いが時々晴れる.その晴れた瞬間,みくりが池が見渡せた.

私は,自分の目を疑った.

・・・雪?

九月はじめのこの時期に?

確かにここは寒い.しかし雪が降るほどではない.現に,さっきからぱらついているものは雨だ.つまり,冬に降った雪が真夏を越しても溶けずに今に残っているということだ.

黒ずんで汚くはあったが,確かに雪には違いなかった.

雪

地獄谷

歩いていくと,硫黄臭がますます濃くなってきたように思う.

その匂いのもとはすぐにわかった.「地獄谷」という標識が現れたのだ.近くに,「みくりが温泉」というものもある.

地獄谷に向かおうかな,と考えていると,背後から,ちりんちりんときれいな鈴の音を鳴らしながらリュックを背負った男の人が三人,追い越してゆく.なんとなく,四国のお遍路さんを思い浮かべつつ,三人の跡を追うでもなくなんとなく後に続く.

地獄谷は,まさにその名にふさわしかった.

幾分暖かくはなったのだが,いかにも有毒そうな湯気がそこらじゅうから噴出していて,息がつまる.毒々しいほどあざやかな黄色や緑色に染められた土.草木など一本もなく,ただ煙とも湯気ともつかないものがたちこめていた.

足元の石畳がわりとすべるのも,硫黄のせいなのだろうか.息がやたらと切れるのも,もしかすると有毒ガスのせいかもしれない.単に,低気圧と坂道のせいなのかもしれないが

遊歩道を歩いていると,茶色い登山帽が落ちていた.

拾うべきか拾わざるべきか,しばらく考え込む.誰かが気づいて取りに来たとき,私がこれを持って別のところを歩いていたら,困るだろう.道は一本道ではないし,自分がどのルートを通るかは,私自身にもわからない.

しかし,ただの帽子である.落としたことに気づいても,長い遊歩道のどこで落としたかもわからないのだからおそらくあきらめるだろう.とすれば,これはただのゴミになる.拾ってゆくべきだ.

結局,本降りになってきた雨が,私の心を決めた.このままでは帽子はずぶぬれになってしまう.私は帽子を拾い上げた.

雨に濡れると,赤っぽい石が敷き詰められた道はますます滑りやすくなった.階段というより,段のついた坂道といったふうな道なので,足元に気をつけないとどんどん滑る.気をつけても滑る.歩幅は小刻みに,慎重に,一歩一歩進んでいく.

遠くの山々はよく見えないが,近くの山はあざやかな緑が美しい.しかし,足元に気をつけると景色が見られない,景色を見ていると滑る・・・そう考えて,昨日も黒部ダムで同じような感慨を抱いたことを思い出す.昨日から,階段を上ったり下りたりする機会が多い.

室堂高原

雨合羽を持ってこなかったのは少し失敗だったかもしれない.

行き交う観光客の姿を見ながら,そう思う.遊歩道は,雨傘でも歩けないことはないが,やはり合羽のほうが何かと便利そうである.

ふらふらと歩き回りながら,さりげなく,拾った帽子を振り回してアピールする.すれ違う人々は,黒い帽子をかぶって茶色い帽子を振り振り歩く女の姿をどう思っただろう?

「りんどう湖」という表示があったが,水がほとんどない.やはりこの時期は,水が少ないのだろうか.春,雪解けの季節などに増えるのかもしれない.

みくりが池付近だけではなく,わりとあちこちに雪が残っている.このあたりは,一年中雪が解けないところらしい.

雷鳥発見?

道端で座り込んで何かを一心に見つめているお婆さんがいた.

「ねえちょっと,こっち.鳥がいるよ」と,大声で連れを呼んでいる.

あんな声を出したら逃げてしまうのではないだろうか.

「なあに? 雷鳥?」

連れの女性の言葉を聞いて,わたしも近づいて覗き込んでみた.

「なんだろ.ちっちゃいね.雷鳥の雛?」

確かに,小さい.何の鳥かはわからないが,雷鳥ではなさそうだ.もっとも,雷鳥がどんな鳥かも知らない.

雷鳥?

歩き回るにもすっかり堪能して駅に戻ってくると,駅の隣に自然保護センターなるものがあるのに気づいた.雷鳥について,展示している.さっきの鳥はとさがしてみるが,やはり違うようだ.ここに拾った帽子を預け,さらに次に向かうことにした.

次は,室堂から美女平へ向かうバスである.春ならば,この道には雪の壁があるはずなのだが,残念ながら今は秋.雪のかけらもない,ただの山道である.

テープのアナウンスが,付近の説明をしている.植生の種類や景色,それからおなじみの,アルペンルートでは植物を折ったり採ったりしないでくださいという注意.

このあたりの木は,冬の雪の重みで枝が垂れ下がっているそうだ.なるほど,確かに普通の杉の木のように枝がまっすぐ上に向かわず,たわんだようになっている.そんなアナウンスに耳を傾けていると,なんだか,段々と眠くなってくる・・・

そう思った瞬間には,もう眠っていたらしい.

「・・・ですのでご了承ください」

はっと気がつくと,そんなアナウンスが耳に残っている.いったい何がなんですのでご了承くださいなのだろう? そもそもこのアナウンス自体,夢なのか現実なのか.

気にしているうちに,美女平という場所に着いた.ここにも遊歩道があるらしいが,疲れたのでそのままケーブルカーで立山に向かうことにした.

黒部湖〜黒部平のケーブルカーはすべてトンネル内だったが,ここは外が見られる.いい眺めなのは確かだが,坂が急すぎて恐ろしい.

ケーブルカー

立山まで来ると,暖かくなってきた.標高の差というものを改めて感じる.

腹が減ってきたので,立山駅内で,かき揚げそばを食べる.殻つきのえびのかき揚げが乗っているのだが,そばがなんだか太くてやわらかかった.

今日はここで宿をとることにしよう・・・

山を下りて(回想終了)

そういったわけで,今私は,広い和室に寝転がっている.どこからか,「遠き山に日は落ちて」の物悲しいメロディーが聞こえてくる.

明日は,称名滝に行ってみようかな.立山博物館というのも,おもしろそうだ.そんなことを考えつつ,睡魔に呑み込まれていく.

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