四国鈍行旅行(2001.2)


四国再発見きっぷ

というものがある.青春18きっぷの四国版だ.

四国内のJR普通列車乗り放題×五日分.わたしは大体普通列車で旅行するから,こういうのはとってもありがたいんである.

ただし,四国再発見きっぷの場合,使えるのは金・土・日・祝・振替休日のみだから,青春18きっぷより自由度が低い.値段は安いけどつかえるエリアが狭いしね・・・.

ところで,「鈍行」ってわかるよね.「急行」に対するもの,よーするに普通列車,ってことなんだけど.

JR四国はおおむね,普通列車がとっても不便で(特急列車も決して便利とは言えないんだけれど・・・),一本乗り遅れたら次は二時間後とか三時間後ってのがざらにある.それに接続も悪くて,無人駅で二時間待ち,なんてのもかなりあるから,ちょっと注意が必要である.また無人駅も多いんだなこれが.

不便だから乗る人が減って,そしたらJRの収益も減るから,ますます列車の本数が減って・・・悪循環だなあ・・・.

こんな状況だから,普通列車でぶらぶらっていうのは四国内を旅行する手段としてはまったく向いてないんだけど・・・まあいいや.安いし

目的地は,高知市.なぜかというと,香川県在住のわたしにとって,四国内で一番遠い県庁所在地だからである・・・

さて,18きっぷ同様,きっぷをフルに活用するため,早朝,駅に向かう.外は真っ暗,かなり寒い.空にはくっきり満月.今日も晴れそうだ.

乗り込んだのは,一両編成のワンマン列車.ワンマンバスのように,乗るときに整理券を取って,下りるときにお金を払う.まあ駅に券売機はあるから,切符を買ったっていっこうに構わないんだけど.しかし一両なのに「列車」とはこれいかに.

今日の旅行は,珍しくカメラ持参だ.ちょっと古い感じの,ちっちゃいカメラ.RICOH R1Sって書いてある.

残念ながらデジカメじゃないし,わたしはスキャナも持っていないから,ここで撮った写真をお見せできないのが残念だ.・・・決して,ウデが悪いから見せたくないとか,そーゆー理由じゃないからね! あくまで,ハードウェアがないだけ,なんだからね!

・・・と,念を押しておいてと.

きんいろのビル.

土讃線の宇多津駅から見える,明けはじめた空にきらめいているもの.その名も「ゴールド・タワー」.前にいちど,行ったことがある.

あれ,見かけはのっぽのビルだけれど,実は中はがらんどうなのだ.たしか,三階くらいまで,売店とか食堂があって,その上はむきだしの鉄骨.エレベーターでのぼっていくと,東京タワーをのぼっていくときと同じような鉄骨が見える.その外側に,やや黄色っぽいガラス板がはまっているのが東京タワーと違うところだ.たぶんハーフミラーなんだろうけど,このガラスのおかげでゴールドタワーがゴールドに輝くのである.

以前わたしが行ったときは,なんと強風のせいでチケット販売が一時中断されていた.え.早速来たのにぃ〜〜〜???

しばらく待っていると,チケット販売が再開した.で,チケットを買って,鉄骨の中,エレベーターでのぼったわけなのだが.

・・・こ,こわい・・・.

最上階は,それとわかるほど,揺れていた.なんか酔いそう・・・.耐震構造になっているらしいけど,なんか・・・うわーめまいがする〜〜〜.

最上階には金ピカの仏像があり,金箔を貼り付けるようになっている.そういえば,券売所で小さな金箔を売っていたが,あれはこの仏像に貼り付けるものらしい.

しかし,周りにほかに高い建物がないせいだろうけど,すごく見晴らしがいい.瀬戸内海と瀬戸大橋が真下に見えて,まさに絶好のロケーション.

と,そのとき放送が入った.

「ただいま強風のためチケット販売を中止させていただいております」

・・・をいをい.

わたし今,ここにいるんですケド.

ただでさえゆらゆら揺れてんのに,そーゆー放送なんかされたらますます怖いじゃないかっ!

時間待ちの暇つぶし

土讃線を高知目指して一路下っていると,琴平駅で一時間半待ちとなった.

まあ行き当たりばったりで旅行していると,よくあることである.でもちょっと中途半端な待ち時間だなあ.金毘羅参りをするほどの時間はないし・・・.

駅まわりをふらふら歩いてみる.金毘羅さんには何度か来たはずなのに,琴平駅付近にはまったく見覚えがない.駅舎は古びた感じでけっこう大きく,駅前には石灯籠が並び,機関車の車輪が飾ってある.

町並みも,古臭いといえばたしかに古臭いんだけど,いい味出してる.古びた住宅の中,なにげに石灯籠なんかが並んでたりするんだけど,全然違和感がない.

JRの琴平駅からちょっと歩くと,琴電の琴平駅があるのだが,そのすぐそばに鳥居があり,「萬蔵」という建物があった.

これも金毘羅さんの一部なのかもしれない.石垣みたいに,石をぴっちりと高く積み上げた上に木造二階建の建物が載っている.蔵ってかいてあるんだから高床式の倉なんだろうけど.建物の裏に回ると滑り台なんかの遊具が置いてある.

そのうち出発時間が近づいてきたので,駅に戻る.「さぬき古代の珍菓」というわけのわからないお菓子を買って・・・

わっ! なにアレ!

ちょうど目の前を通り過ぎていった列車に,わたしは目をむいた.

あれはもしや・・・バイキンマン?

そして,ドキンちゃん?

・・・アンパンマン列車だぁ・・・うーむ,最近,JR四国もいろいろやるなあ.

ところで,この「さぬき古代の珍菓」,「たんきり」というあまりおいしくなさそーな名前をもっている.生姜風味のせいか,味も歯ざわりも,岩おこしを感じさせるものだった.形は全然違うけど.

時間待ち第二弾

阿波池田駅にて,二時間待ち.

いま,JR四国では,「吉野川麺紀行」というキャンペーンをやっている.・・・で,具体的に何をやっているかというと,単に,吉野川沿線の駅からのウォーキングプランと郷土の麺料理の紹介をしたチラシを駅に置いているだけなのだけれど.

阿波池田駅も吉野川沿線だから,このウォーキングプランがある.プラン名は,「佐野しいたけうどんと四国のへそ満喫」だそうだ.「四国のへそ」はともかく「しいたけうどん」って何じゃそりゃ?

興味津々で歩き始めたわけなのだが.

・・・おかしい.

なんで略図とはいえ,地図を見ているのに迷うのか.

それは,道を間違えたとわかっても軌道修正しないからである.結果,最初のうちは少しのずれだったのが次第に取り返しようのないものになっていくのである・・・

いつしか眼下には,みどり色の大河が見え始めていた.これが吉野川であることは,百パーセント,間違いない.

で・・・多分,むかって右方向が下流,駅方向もおおむね右のはずだ.方向感覚がとことん狂ってるんじゃなければ.

というわけで,右方向に歩き出すことにした.吉野川を左に見ながら広い道を歩いていくと,道はどんどんのぼりに向かい,相対的に川はどんどん下がっていく.

眼下の吉野川にかかる橋・・・というか,ダム.池田ダムである.香川用水はここから来ているわけだ.ありがたいことである

ダムの脇には,芝生で「水を大切に」と書いてある.まったくだ.そー言えばカメラを持ってきてたんだった,と思い出して,証拠写真をぱちり.

「こんにちは」

声をかけられて振り向くと,ご婦人がにっこり笑っていた.

いかにも観光客丸出しでぱちぱち写真をとっていたのがなんとなく気恥ずかしい.ご婦人は,大歩危とか祖谷とか,箸蔵山とか,付近の観光地をいろいろ教えてくれたのだが,残念ながらどこも遠く,たった二時間の停車時間で行けるような場所ではない.

発車時刻も近づいてきたので,そのまま駅に向かうことにする.

駅への帰り道,例の「佐野しいたけうどんと四国のへそ満喫」のチラシにかかれていたウォーキングルートらしきものにようやくたどり着いた.いまさらねえ・・・とは思うもののみーはー根性にびんぼー症が加わり,つい律儀に見てしまう.

池田城址.・・・今は小学校だ.

諏訪神社.ごく普通の神社だが,向かって右側の松だけが異様に傾いている.

郷土料理店.あっそうだ「しいたけうどん」.・・・でももう無理だろうなあ.時間的に・・・.時計を見たわたしはガクゼンとした.

もう汽車行っちまってる! しかも次はまた二時間後ときたもんだ.

またふたたびの時間待ち.

しょーがないなあ・・・まあしいたけうどんを食べる時間ができたからいいとしよう.

「うだつ」という名の郷土料理の店は,これまたいい感じに古くて,もろみの圧搾機なんかが置いてある.使ってはないみたいだけれど.

問題のしいたけうどん・・・なぜかしいたけうどんだけ,メニューが手書きなんですけど.つい最近,メニューに入りましたって感じ.「郷土料理で名物料理」ではないの? まさか最近「郷土料理になった」とか・・・?

ナゾをはらみつつ運ばれてきたうどんは,見かけはむちゃくちゃ太い蕎麦だった.しいたけの粉末をうどんに練りこんであるので,麺の色が黒く,蕎麦のように見えるのだ.でも味と太さはきっちりうどん・・・.

しかし! しいたけうどんうんぬんというより,これは,うどんとして,あんまりだ.うどんはゆですぎだし,おつゆは塩辛すぎるし.結論.ハズレ

郷土料理店の名前でもある「うだつ」とは,屋根の飾りみたいなもので,昔の大きな家には必ずついていたものだ.というより,うだつをあげることが,大きな家になったという証明だった.そんなわけで,いつになってもぱっとしない奴だという意味で,「うだつのあがらない」っていう慣用句ができた.

付近にはうだつのついた古い大きな家が多くて,うだつ通りになっている.でもこのうだつ,知っていれば「なるほど〜〜」と思うかもしれないけれど,知らなければ「立派な家だなあ」程度で,そのまま見過ごしてしまいそうだ.

うだつ通りの近くに,ひときわ古いうだつの家がある.たばこの資料館だ.

資料館のくせして,受付に誰も人がいなかったので,中をのぞきこんでいると,「いらっしゃい.どうぞ見ていってください」という声とともに,奥からおじさんが出てきた.

もともとたばこ製造業者の家だったそうで,明治とか大正の建築だそうだ.それを平成11年に,町が一億以上出して買い上げ,修理費用も相当かけて,資料館としたそうだ.改修されておらず立入禁止になっている建物なんかは,窓ガラスが波打っていて,本当に古いものなんだなあと思わせる.窓ガラスが割れたら替えがないから困るとおじさんは言う.そりゃそーだ.今のつるつるの綺麗なガラスを一枚だけ入れたりしたら,違和感があって仕方ないだろう.といって,今の時代にわざわざ波打つガラスを作るっていうのはかえって難しそうだし.

昔は,このあたりはきざみたばこの一大産地だったが,たばこ産業が国営になり,さらに,最近はきざみたばこを吸う人も少ないのでもう作っていないそうだ.資料館には,いろんなタバコの葉を重ねてきざみ,ブレンドする様子とか,最初のうちは手できざんでいたのが,そのうち葉を集めて圧縮し,固めてから削るようになった説明があった.

出来上がったたばこは,吉野川を帆掛け舟で運搬された.まだ陸上交通の発達していないころから,吉野川は重大な流通路だったのだ.たばこだけでなく,たとえば藍染めなども吉野川を下っていった.

ようやく阿波池田駅発

列車は,吉野川を眼下に見下ろしながら上流にさかのぼってゆく.線路も道路も,吉野川にもつれ合うように走っている.吉野川,いったい,何本橋がかかっているのだろう.

下流はあんなに広くてゆったりと流れているのに,このあたりは川幅も比較的狭く(下流に比べて,ってことだけど.広いことは広い),流れも急だ.しかも両岸とも,ごつごつした鋭い岩肌がむき出しになっていて,すごく荒々しい感じがする.なんていうか・・・川っていうより,陸地と陸地の間の深い裂け目に水が流れているという感じなのだ.

・・・・・・

いつのまにか眠っていたらしい.ふと目を覚ますと,駅でもないところで列車は止まっていた.

どうしたのかな〜〜とあたりを見回していると,運転手さんが運転席の鍵をがちゃがちゃいわせながら出てきて,車両を縦断して後ろに歩いていく.ワンマンの一両編成だから,車両の後ろ側にも運転席がついている.運転手さんは後ろ側の運転席の鍵を開け,中に入った.

列車は逆向きに進み始めた.ちょっとだけ動くと,短いホームがあり,そこで止まる.

・・・もしかして,駅を一個とばして行きかけたとか・・・?

その後,運転手さんはまた前の運転席に戻り,列車は何事もなかったかのように駅を出,進み始めた.・・・ナゾだ.

やがて,「ごめん」という面白い名前の駅を通り過ぎ,目的地の高知に到着である.

高知といえば・・・

はりまや橋.日本三大「がっかり観光地」のひとつ.ほかは,札幌の時計台と,もういっこはどこだっけ?

・・・あれ?

・・・こんなんだったっけ?

「はりまや橋公園」って,前に来たとき,こんなのあったっけ?

からくり時計? 知らない・・・.

はりまや橋っていったら,もっとず〜〜〜っとチンケで,大通りのすみっこにほんのオマケみたいにくっついてたんじゃなかったの? いつのまにか,改修しちゃったのかなあ.

まあいいや.

とりあえず,ごはんごはん.なに食べよっかな〜〜〜.かつお.くじら.うつぼ.ドロメ(シラス).ノレソレ(穴子の稚魚).

商店街に,郷土料理店ばっかり数軒,固まっている一画がある.うーんどこにしよー.うろうろしているわたしの目の前を,子供連れの若夫婦が横切っていく.

妻:「ねえ,ここは?」

夫:「だめ.こっち」

ある店に入りたそうな奥さんにきっぱりとそういうご主人の物言いに興味を惹かれてみていると,家族はちょっと離れた一軒に入っていった.

なんだか居酒屋っぽい店だ.なかなか女ひとりでは入りにくい.しかもわたしはまったくの下戸である.それでもなんとなく,後について入ってしまった.

注文を取りに来たお嬢さんに,「お茶!」と主張してからメニューを見る.

さて何にしよう.ドロメはともかく,ノレソレって興味あるなあ.うつぼのタタキってのも.

それともくじらにするかな.今まで,おいしいくじらってのを食べたことがないし.唯一の記憶は,学校給食にまでさかのぼってしまうのだ.

くじらの刺身.竜田揚げ.結論から言うと,めちゃくちゃおいしかった.くじらってこんなにおいしいものだったんだ.

そして,さえずり(くじらの舌).牛タンみたいなのを予想していたのだけれど全然違う.白くて,けっこう脂っこい.歯ざわりはやわらかいけど弾力がある.これをゆず味噌で食べるわけだ.これもなかなかおいしい.

おなかいっぱい食べてから,ふらふらと宿への道をたどっていると,からくり時計が,七時を告げる.何がからくりなんだろうかと見ていると,上から高知城,下からは鳴子と踊り子,左からは坂元竜馬,右からはりまや橋が出てきた.メロディはもちろんよさこい節.ちゃんとライトがついていて,暗くてもちゃんとわかる.これが五分ほど続くのである.

路面電車はオソロシイ.

市内から外れると,路面電車の通る道はどんどん狭くなっていく.ちっとも大通りじゃない,普通の町中を走っているのである.

このあたりの道路は,ごく普通の二車線道路程度の道幅しかない.しかし,片方が線路に占領されているから,結局自動車の道は一車線なのである.けっこう交通量多いのに.狭い道を,自動車用の一車線と電車用の単線で分け合っているのだ.

うわぁ! 前から別の電車が・・・ぶつかる!

と思ったら,ところどころ,行き違いのため複線になっている個所があり,向かってくる電車はそこに入っていった.やれやれ.

わっ今度は前から自動車が! 電車の目と鼻の先をすいっとよけていく.

わたしはそのとき,勘違いをしていたことに気づいた.

この道路,自動車と電車がそれぞれ一車線ずつだと思っていたのだが,そうじゃないのだ.自動車の二車線道路なのである.そしてその片方,市内から見て右側の車線に市電の線路をひいており,つまりはこの車線は市電と自動車の共用車線なのだ.自動車は,電車が通っている間だけ,道をよけるが,あとは普通の二車線道路と同じように走る.

つまり真正面から自動車がばんばん突進してくるわけだ〜〜〜〜いくら電車がとろいといっても,これはけっこう怖い.慣れるとそうでもないんだろうけど.このあたりじゃ,自動車の免許を取るのも大変なんじゃないだろうか.

ところで,わたしはどこに向かっているかというと,路面電車の終点,伊野である.ここにある,紙の博物館というものに興味を覚えたためだ.

終点の伊野に到着し,例によって,適当に歩いていると,見るからに「旧家!」と家全体で主張しているような家があった.

「商い中」という札がかかっており,「ご自由にご見学ください」とも書いてある.家に関する短い説明もついている.

なのに扉は閉ざされており,なんとなく入りづらい.しばらく迷ったが,意を決して扉を開ける.

土間があり,和紙で作ったらしい大きなランプが置いてある.パンフレットも置いてある.でも,人気がない.勝手に入り込んでいいもんだろうか,と考えていると,奥から,「いらっしゃいーどうぞー」という声とともにご婦人が出てきた.なんとなく,池田のたばこ資料館を思い出してしまう.

ここは,土居邸といって,もと紙の商家だったのだという.でも,和紙が廃れ,住む人がなくなった家を市が買い取り,一般公開しているのだそうだ.う〜〜む,やっぱり池田のたばこ資料館を思わせるなあ.

でも,ここは,家や間取りを見せているだけで,資料らしい資料はない.ちゃんとしたものを見るなら,やはり紙の博物館に行かなければならないようだ.ご婦人は,おすすめとして,近所のギャラリーとか,土居邸よりもっと旧家の紙漉きの家について教えてくれた.さらにおいしいレストランと,サンドイッチのおいしいパン屋さんまで!

ご婦人といろいろ話しているうちに,高知市の日曜市の話になって,日曜市は有名だけど値段は決して安くないし,ちょっと有名になりすぎて中には悪徳商法な人もいるからと注意された.物を買うときはちゃんと味見をしてから買うようにとのことだ.

銀百匁

当時どの程度の価値だったのかはわからないが,紙の博物館のチケットは土佐藩の銀百匁の藩札を模したものだ.ここでは,土佐の和紙のうちで最高級品質のものである,土佐典具帖紙の説明や,土佐和紙の功労者について紹介されている.この功労者のうちのひとり,吉井源太翁の家が,土居邸のご婦人に教えてもらった製紙の旧家である.

製紙工程の展示がしてあって,ビデオでも説明があった.それによると,まず,和紙の原料となる楮,三椏,雁皮などを蒸し,熱いうちに皮をむく.手で引っ張るとするすると剥けるのである.使うのはこの皮で,中身はいらない.皮を薬品などと一緒にじっくり煮込み,白い繊維にする.煮上がったら繊維から薬品を洗い流して,一つ一つ丁寧にごみやちりを取っていく.そして,たたいて繊維をほぐす.高品質が要求されるものはここでもう一度洗う.そしてのりといっしょに水の中でよくかき混ぜ,すげたで漉いていくのである.漉いた紙を何枚も重ね,分厚くなったところで上から圧力をかけて絞り,生乾きの紙を一枚一枚はがして丁寧に乾し,裁断するのである.

わたしはやらなかったが,製紙を体験できるコーナーもあった.

製紙の道具である,すげたの作り方も展示してあった.すげたは,木枠の中に目の細かいすのこを張ったものである.すのこを構成するひごは,竹または萱製で,ひごを絹糸でつなぎ,すのこにする.絹糸には,丈夫にするため柿渋を塗る.さらにすのこの目を細かくしたいときには,すのこの上に,さらに柿渋を塗った布を重ねるのだそうだ.

紙の博物館の二階では,「流木怪獣展」というのをやっていた.面白い形をした流木をちょっと加工して,台をつけて,いろいろ,もっともらしくて楽しいタイトルをつけている.中には,どういうはずみか,流木が小石を抱き込んでいたりして,その石を怪獣の宝石に見立てたりしている.

未加工の流木を,あなたもやってみませんか,と置いてあったり,小品をお持ち帰りくださいなんて書いてある.浜辺に打ち上げられる木や石,いろんな形をしているとは思っても,こういう発想ってなかなか思いつかないものだ.

紙の博物館を出て,今度は,ギャラリーコパに行ってみる.しかし,「コパ」なんていうと風水の先生をどうしても思い出してしまうなあ・・・.

「今の時期,お金いただいてないんですよ,ごめんなさいね」

受付の人に言われ,首をひねる.ごめんなさいって,どーゆー意味? お金を払わなくていいっていうのなら,むしろお礼を言うのはこっちのほうぢゃ・・・?

その疑問は二階に上がったときに解けた.

高校生の,卒業制作.二階はそれで埋めつくされていた.

伊野商業高等学校情報デザイン科.卒業制作なのだから仕方ないけど,こんなふうに所狭しと並べられていると,どうしても目移りしてしまい,じっくり見る気になれないのが惜しい.

製紙の旧家

そんなわけで,ギャラリーを早々に出て歩いていく.たぶん,このあたりのはずなんだけれど・・・.

あった.吉井源太生家,っていう案内板が立っている.案内板に導かれて歩くと・・・なんか道がだんだん狭くなってくる・・・.

旧家の前でうろうろしていると案内の人が出てきて声をかけてくれる,ってのは今回の旅行のパターンのような気がする.今度声をかけてくれたのは,ご老人だった.後でわかったのだが,この人は吉井源太のお孫さんで,健晃さんとおっしゃる.

案内されて家に入ってみると,土間にはガラスの陳列ケースがあって,昔の写真や書,すげたが並んでいる.その奥には,製紙の道具を置いてある.資料のほとんどは紙の博物館に納められていて,ここに残るものはごくわずかだそうだ.

吉井源太氏の第一の功労は,すげたを大きくしたことだそうである.土佐藩は,昔から製紙が盛んだったのだが,すげたの大きさの規格は二種類,どちらもとても小さなものだった.それで彼は,いちどに多くの紙を漉けるよう,すげたを従来の6〜8倍にまで大きくした.それで製紙量が大幅にアップし,土佐藩を一大製紙藩に押し上げた.

さらに彼は,そのすげたを全国に広めるべく,あちこち指導して回った.富山県や静岡県にまで行っているのになぜか同じ四国内の香川県には来てないのだが・・・.刑務所の服役囚にまで「手に職をつけろ」と,指導したという.そのかいあって,今製紙に使われるすげたは,日本全国どこでも,吉井源太氏が考案したものとなっている.

紙の博物館のところで,すげたに張るすのこを構成する「ひご」には,萱製と竹製があると説明があったが,これはそれぞれ特徴がある.

萱ひご 竹ひご
長さ 短いので途中で継いで長くしなければならない 長さは自由自在に作ることができる
重さ 中ががらんどうなので軽い 中が詰まっているので重い
太さ 萱の太さより細くすることはできない ひごの太さをいくらでも調節できるので目の細かいすのこが作れる
特徴 厚い紙むき 薄い紙むき

目が細かいほど薄い紙を作れるから,萱は厚い紙,竹は薄い紙を作るのに適しているということになる.

さらにもっと薄い紙を作るため,吉井源太氏は,すのこの上に,海外から輸入した目の細かい金網を張ってみた.すると,竹のすげたよりもっと薄い紙を作ることができた.布を張ってみると,もっと薄くなった.

そして,当時としては世界最薄の,0.03mmという薄さの紙を作った.この紙を実際に見て,触らせてもらったが,まさに向こうが透けて見える薄さである.トレーシングペーパーなんてメじゃない.

この紙を,アメリカがタイプライター用紙として輸入,大ブレイクした.極薄紙とカーボンを何枚も重ね,タイプライターで打つことで複写をしたらしい.当時,伊野は紙の大産地となった.

また,わたしが乗ってきた市内電車を伊野まで引いたのも,吉井源太氏の功労である.かつては馬車で運んでいた紙だが,輸送量が増えるにつれ,そんなものではおっつかなくなり,線路を要求したのである.しかし彼自身は,開通の日を見ることなく,開通一ヶ月前に死んでしまった.

紙・いろいろ

楮から作った紙を,楮紙という.土佐典具帖紙は,楮から作られる.一方,三椏で作った紙は,なぜか三椏紙とはいわず,柳紙という.

紙の材料として,三椏はとても有名だ.紙幣の成分だってほぼ三椏なのだから.・・・が,かつて三椏はいい紙の材料にはならなかった.三椏で作った紙は茶色くて,封筒くらいにしか使い道がなかったのだ.

そこで,石灰等を入れることで繊維を漂白し,「柳紙」をポピュラーにした.伊野の町は,一時,三椏であふれかえったそうだ.

えーと,それから,紙を作るため,昔は糊として,かなりの量の米が必要だったそうだ.しかしそれでは虫に食われるし,どう考えてももったいない.そこで彼が目をつけたのが,珪酸礬土である.植物が育つのにまったく適さないこの土を,米のかわりに紙を入れることで解決した.

珪酸礬土のことを白土ともいうが,この白土,土であるから重い.紙は目方で計るから,重いほうが高値で引き取ってくれる.そんなわけで,一時,白土をやたらと入れた質の悪い紙が横行し,土佐紙の評判を落としたそうだ.白土が多いと,紙はもろくなるのだ.

洋紙には必ずこの白土が入っていて,白土が多いものほどつるつるしている.・・・といっても,お札がつるつるなのは白土のせいではないらしい.三椏をプレスしたらつるつるになるので,そうしているのではないかという話だ.お札の成分はもちろん大蔵省の極秘事項で,たぶん三椏とマニラ麻を使っているのだろうというくらいしかわからない.

マニラ麻・・・和紙にそんなものが使われるのはなんだか意外な気がするが,最近は,和紙の原料も輸入品が多いのである.ちょっと名前を忘れてしまったが,とある一年草が最近よく使われているそうだ.これだと,成長もすぐだし,環境にもやさしい.

吉井源太氏が研究して作り出した新しい紙は約四十種,うち製品化されたものは二十八種にのぼる.

たとえば,西洋からはじめてインクが入ってきたとき,インクが滲まないように,樹脂を漉き入れた.

製品化はされなかったが,軍艦工造紙.軍艦を紙で作ろうというものだが,火災に弱そうである.

その他,石綿入りの防火紙,パルプ紙など,さまざまだ.

話題は「紙」からそれて・・・

吉井健晃氏の話を聞いていると,そのうち奥さんがいらっしゃって,お茶を入れてくれた.

部屋には,緑綬褒章の賞状が飾ってある.あと,中国から製紙を学びに来た人が書き残して行ったという掛け軸があった.

吉井源太氏自身も,子供のころ寺に預けられたせいで画や書や俳句のたしなみがあったそうだが,ここには彼自身の作品はなく,すべて紙の博物館で保管している.

土佐藩主の山内容堂に絵を送り,それに詩をつけてもらったというエピソードもあり,その際,山内容堂が詩を下書きをしたらしい紙も残っている.詩の内容は,板を拭くためにはうつむかなければならず,山を見るには仰がなければならない,それが何の労苦だろうか,というようなことだ.・・・だから何なの,という感じだけど.

掛け軸の話をしているうちに,落款の話になる.作品に押す印は,冠冒印,姓名印,雅号印の三種があり,冠冒印(引首印)は作品の右上,ほかは右下に押す.そして姓名印は文字を白く出す白抜き方式,雅号印は文字を赤く出す普通の方式であるとか.

思いっきりテレビから取材がきて,みのもんたからもらったという落款つきのサインも見せてくれた.これには,冠冒印と雅号印のみが入っている.

さらに,掛け軸に年号が入っていることから,十干十二支の話題にさらりと触れた後,つぎに観光にうつる.高知城は松山城とともに,日本有数の古城であるとか.階段が,上りにくく下りやすいように作られているとか.詰門という門があって,入口と出口を食い違わせているから攻めてきた敵がそこでいったん止まることになり,止まったところで上から矢を射掛けるとか.とはいえ,高知城が戦場になったことはない.

よさこいソーラン節の話もあった.吉井氏は,「よっちょれ」という.昔のものとかなり変わってきていて,非常にエネルギッシュなのだそうだ.いちど踊ると息を切らせてしまうそうである.よっちょれは,そのパワーのせいで世界的にも有名になりつつあるそうで,とすれば四国には阿波踊りとよっちょれ,二つも有名な踊りがあることになる.

以前,北海道大学で学生たちがソーラン節を踊っていたという話をすると,もともと北海道で作られたのだ,という答えが返ってきた.北海道では,雪がとけるころになるとよさこいソーラン節の練習が始まる,とか.

日曜市をやる追手筋,高知城の前の道はかなり長くて太い道なのだが,それを全部通行止めにして踊りまわるんだそうだ.ちなみに日曜市は片方の車線だけを通行止めにする.

閑話休題.

この土佐和紙,意外なところでも活躍している.たとえばあの「最後の晩餐」の修復.

氷上のスポーツ,カーリングのライン引きには,厚さ0.0015mmの極薄土佐和紙が使われている.

そして,電解コンデンサ.

たばこのフィルタにも和紙が使われている.

紙を作っている人自身,その紙が何に使われるのかを知らないこともままある.紙は,二次加工業者のもとで製品になるから,その二次加工業者が教えてくれない限り何に使うのかわからないのである.

紙には,洋紙・機械漉き和紙・手漉き和紙とあるが,同じ和紙でも,機械のほうは繊維の方向がどうしても一方向にそろってしまうのだそうだ.対して,手漉きの場合は繊維の方向がばらばらだ.繊維の方向がそろうと,ある一方向に破けやすくなる.

また,洋紙と和紙でいうと,最大の違いは材料だ.洋紙はパルプ,木の中味を使い,和紙は皮を使う.そんなわけで,和紙のほうが繊維が長く,丈夫になるのだという.あと,洋紙には必ず白土が入っている.

そんな話をずっと聞いていると,いつのまにか,日が暮れかけていた.一日伊野で過ごしたことになる.

紙に興味がありますか,と吉井健晃氏は聞く.もし興味があるなら・・・と,「吉井源太翁総傳とその経緯」という題の,淡い緑色の表紙の本を持ってきた.吉井健晃氏がまとめた,吉井源太氏に関する私家本だそうである.編集者は娘さんだ.

表紙が緑色なのは,吉井源太氏がもらった緑綬褒章にちなんでいるのだそうだ.

吉井家の系譜,吉井源太氏の功績,そして写真資料がまとめられている.こんなものをもらっていいのだろうか,とちょっと恐縮してしまう.

書きたいことはたくさんあるが,全部書いていくときりがない.何を書くか,というところより,何を書かないか,を選ぶことに苦労したという.調べたことは全部書きたい.でも全部は書けない.この気持ちはわたしにもよくわかる.今この旅行記を書いているときも,何を書かないでおくか,ひどく悩んでしまう.結局なんでもかんでも書いてしまい,冗長すぎて誰も読まないということになるのに.

さすがにこの本は洋紙だが,吉井氏の名刺も,この家のパンフレットも和紙だった.

本には,いろいろなエピソードも入れたかったが,そのエピソードのもととなる日記も膨大な量にのぼり,崩し字だからほとんど読めない.そこで,解読もほとんどされないまま,紙の博物館に眠っているそうだ.

めったな人には見せないようになっているという話を聞いて,何で・・・? と思う.

かつて,彼の資料を見せてくれと,大勢の人が生家を訪れたらしいのだ.立派な肩書きの名刺を持って.はあ大学の教授様,どうぞごらんになってください・・・そしてしばらくの後,「教授氏」は満足そうに帰ってゆく.あとで見てみると,手紙やら,手紙に張ってあった貴重な切手やらが切り取られ,資料が破り取られ,つぼや皿類が数点消えている.名刺は真っ赤な偽物.そんなことが何度もあったらしいのだ.

でも,せっかくの資料も,ただ眠らせるだけでは意味がないと思う.コピーを見せるとか,何か方法がないものだろうか.・・・今度は膨大な日記のコピーをとる作業をやる人がいないか.

紙の余韻に浸りながら,今度はJRで高知市へと戻ってきた.

あっ,そういえば教えてくれたレストランにもパン屋さんにもいきそびれてしまった.

今日の晩御飯

今晩は,昨日から気になっていたうつぼと,ノレソレを食べることにする.

茶そば,うつぼのたたき,ノレソレ.取り合わせとか,バランスとか,そーゆーのはあまり気にしないことにする.

ノレソレは・・・なんか淡白すぎてよくわかんなかった.酢醤油の味しかしない・・・でも歯ざわりはけっこうスキだけど.つるっとしてて.

うつぼのタタキ.これはけっこういける.うなぎとか穴子の系統の味.淡白なんだけれど,けっこう脂がのっててやわらかくて.・・・とにかくうまい.

しかしテレビでよくあるグルメ番組の出演者ってすごいかも.よく味をあんなふうに言葉で表現できるもんだ.そう,誰かが,まずいのはすっぱいとか辛いとか,言葉で表現できるけどうまいのは表現できない,ただ「うまい」だけだって言ってたな.

あ,そうそう,今日のビジネスホテル,ロケーション的には高知城が見える位置.・・・といっても私の部屋からは見えないけどね.部屋にラッセンのポスターが飾ってある.まあそれ自体はどうでもいいんだけど.

高知市内の商店街を歩いていると,ラッセンの絵を飾ったギャラリーがあったので,思わず足を止めてしまった.で,奥を覗いてみると,天野喜孝とかいのまたむつみがあるじゃないですか.

スタッフがえらく話のうまい人で,読書傾向のわかりそうな話題で意気投合する.

それにしても,わたし,絵の趣味変わったのかなあ・・・.

以前好きだった絵も,今見ると,綺麗だとは思うんだけど,そんなにすごく好きってわけでもなくなってる.しばらく見なかったうちに,勝手に自分の中でイメージ膨らませてただけなんだろうけど,「あれ? こんな絵だったっけ?」と思ってしまうこともある.

日曜市のにぎわい

いやもう,たいしたものだった.高知城の前に延びている,追手筋の長い道路を,城に向かって左半分を通行止めにし,端から端まで,農作物や特産物の店がずらりと並んでいる.

観光中の身で,野菜やら果物やら花やらを買っても仕方ないので,蒸し饅頭を買うことにした.さつまいもや黒糖,かぼちゃやレーズンなど,いろんなものを生地に練りこんである.そのうち,「ゆず」と「ほしか」を購入し,行儀悪く歩きながら食べる.ゆずはともかく,ほしかって何だろう.さつまいもの味がするが.

お饅頭,おいしいけど冷たいのがタマにキズ.ここで蒸せば,湯気に惹かれてけっこう売れると思う.今日は寒いことだし・・・と思っていると,前方に湯気の出る人だかりが・・・

そこでは,猪の肉を売っていた.天然ものとそうでないものの塊がそれぞれあり,当然ながら天然物のほうが高い.

湯気のもとは,その店で出している,しし汁だった.とりたてて,猪の肉の特徴ってのはわからなかったけど・・・あ〜〜〜あったまる〜〜〜

てんぷらを揚げている店もあった.やはりこういう店は集客力がある.

「東山」というお菓子があった.見た感じ,さつまいもを煮て干したように見える.何で「東山」っていうのかな〜〜と思いつつ別の店を見ると,同じお菓子に「干菓山」という名前がついている.ひがしやま・・・なるほど〜〜〜.食べたくなったが,さっきのお饅頭のせいでおなかがいっぱいだ.

あ,そういえば,饅頭の「ほしか」って,「干し菓」ってことなのかもしれない.さつまいもを「干した」「菓子」,つまりこの「干菓山」が入っているのかも.

ぶらぶら歩いていると,だんだん人が増えてくる.人の群れの中をかきわけつつ,ようやく高知城の前までたどり着いた.奥さんに馬を買ってもらった,山内一豊の像がある.

高知城

今は,築城400年記念ということで,市中いたるところにのぼりが立っている.それと,よさこい国体ののぼりと.

高知城は,日本でも数少ない,天守閣が昔の姿そのまま,残っている城である.天守閣までの階段は緩やかだが,のぼるには,一歩には少し余り二歩には少し足りない.一方おりるほうは,駆け下りるとちょうど一歩の幅になる.つまり城を攻める側にとっては上りにくく,城から打って出るには下りやすい,そういうふうになっているのだと,伊野の吉井健晃氏が言っていた.

ああこれが詰門か・・・しかし,門は閉ざされていて,実際にたがいちがい構造になっている様子がわからない.

天守閣前の広場は,いちおう周囲より標高が高くはなっているのだが,ずば抜けて高いわけではないので,眺めはさほどよくない.広場には,「天壌無窮」と掘り込まれた石碑が立っている.

高知城は,河中→高智→高知と読みはいっしょだが,名を変えたそうだ.下のほうの階には,よろいや調度などの展示をしてある.石垣の紋についての研究などもあった.

あ,そうか・・・そういえば,高知城って,山内一豊が建てたんじゃなくて,山内の前は長宗我部だったんだっけ.確か,司馬遼太郎の歴史小説の中に,長宗我部元親の息子の盛親を主人公にしたやつがあった.話のなかで,盛親が徳川家康に許しを請うが受け入れられず,というのもそのとき家康は土佐を山内一豊にやることにしてしまっていたので・・・というエピソードがあった.

貧乏侍の山内一豊が妻の持参金で馬を買い,手柄を立てて褒美に領地をもらったという話はとても有名だが,あの領地は土佐の長宗我部から取り上げたもので,陰では長宗我部盛親が泣いていたんだなあ〜〜〜と思うとなんだか不思議な気がする.

城の上のほうには展示物はない.採光が悪く,ひんやりしており,床や柱が,黒く鈍く光っている.

しかし古い城って奴は・・・・階段が急! ちょっと怖い.

そういえば,姫路城もこんな感じだった.

それにしても・・・今日は人が多いなあ.日曜市だから?

宝物館?

山内家の宝物資料館が近くにあるそうなので,行ってみることにした.

山内神社というものがある.このへんのはずなんだけれど・・・ところが,神社を横切って歩いていくと,外に出てしまった.

その先には,実に古びた感じの塀がある.その塀をたどっていくと,近代的なホテルがあった.歓迎ダイエーホークス,なんて書いてある.そーいや今,野球のチームが四つにサッカーチームがひとつ,高知に来てるって話だったよな・・・人が多いわけだ.チームのメンバーはもとより,ファンの人も大勢来てるだろうし・・・.

まるでホテルの塀の一部のような,古びたちっぽけな建物,これが山内家の長屋だそうである.長屋なんていうと町人やら浪人やらが住んでいてご隠居がいて・・・ってイメージなんだけど・・・.

中には,ちっちゃな部屋がいくつか,そしてちょっとした家具を展示してある.とはいえ,実際に中がどういう使われ方をしたのかわかっていないので,当時をしのぶものを適当に置いているだけらしい.

二階には,土佐出身の名士の写真や,船の模型なんかを展示してあった.この人も土佐出身なの? とびっくりする人も何人かいた.三菱創立者の岩崎氏とか.

だが・・・山内家に間違いはなくても,ここはどう見ても宝物館じゃない.あきらめきれず,再び神社に戻ってみる.

・・・あった.

こりゃわからんわ〜〜〜.

入口のところまで自動車を駐車して,完全に入口をふさいでしまっているのだ.開店休業,ってこういう事をいうんだろうか.

入場料を払って入ってみたが,宝物館というわりには意外に狭く,めぼしいものがあまりない(ような気がする).というのも,パンフレットに写真が載っている,地球儀とか望遠鏡とか雛人形とかが見当たらないのである.

「県立の歴史民族資料館に長期貸出してます」

・・・なら,最初っからパンフレットに載せるな!

それにしても・・・日本で時々,海外の美術館から有名な絵を借りて大絵画展,なんてのをやったりするけれど,その間もとの美術館を訪れた人は,その有名な絵を見られないわけだよなあ・・・なんて,今まで考えたこともなかったことを,しみじみと考えてしまった.

帰りも,高知城まで戻って,今度は追手筋を逆にたどる.ますます人が増えてきたような気がする.まっすぐ歩くのも難しいくらいだ.昆布と太刀魚の寿司を購入すると,インターネットでの注文も受け付けます,とURLを書いたメモを渡され,なんだかおかしかった.

ついでに「黒米」というものを衝動買いしてから,そろそろ人ごみにも疲れてきたので,追手筋から外れることにする.左に折れると,「まんが甲子園」という通りがあった.風刺画を書いたパネルが数枚ある.意味のわからないものも中にはあったが・・・もうちょっといっぱいあればいいのに.それともこれから増えるのだろうか.

明日から雨になる,というので,このあたりでいったん家に帰ることにする.雨の中,四万十川や足摺岬に行ってもつまらないし・・・.

帰りの列車の中で,再びそれは起こった.土讃線の,「新改」と「繁藤」の間のことである.列車が,駅でもないところでいきなり停車し,しばらくバックし,それからまた,何事もなかったかのように走り出す・・・.

これはいったい,何なんだ?

石の博物館

行きの池田駅にあったような,吉野川麺紀行というプランが,やはり吉野川沿線である大歩危小歩危にもある.

「祖谷そばと大歩危,小歩危峡満喫」「祖谷そばと秘境かずら橋遊湯」というやつだ.

どちらのウォーキングプランも四時間半,これをまともに歩く人なんているんだろうか.

ともかく,わたしが心ひかれたのは,大歩危駅からそれほど遠くないところにあるラピス大歩危という石の博物館だった.

どうしようかな・・・なんて考えているうちに,眠ってしまった.

ふと目を覚ますと,大歩危駅に止まっている.・・・これはやっぱりここで下りろってことなのかしら.とゆーわけで,下りる.ホームには,かずら橋の模型が飾ってある.

無人駅だが,駅舎の天井にはでっかい梁がわたり,その梁から駅舎の中心めがけ,竹の棒がぶら下がっている.竹の棒の先には引っ掛けるための木の棒がついている.そう,ふっるーい日本家屋の囲炉裏端を模しているのだ.もちろん火はついていないし,鍋が下がっているわけでもないが・・・.

駅には,かずら橋ゆきの村営バスが止まっていた.バスというより単なるライトバンのような気もする.今からかずら橋ってのは無理だろーな.今夜はここで泊まって明日行ってみるか・・・いやいや,明日は雨が降るんだっけ.やっぱりやめとこう.

というわけで,次の列車が来るまで二時間ほどを,石の博物館で過ごすことにする.

う〜〜ん,なんつーか,この,ウォーキングプラン考えた人,何を考えてたんだろう.自分で歩いてみたんだろうか.そもそも,ウォーキング向きの道じゃないのだ.大きな車はひっきりなしに通るし,歩道は時々途切れるし.まあ右手に吉野川が見られるのが,唯一の救い.

大歩危小歩危という名前は,大またで歩いても危険,小またで歩いても危険という意味だそうだ.石の博物館に,案内ビデオがあるのだが,そのビデオのお兄さんがそう言っていた.・・・しかしお兄さんの口調があまりにも子供向けだったので(うたのおにいさんみたいなのだ.歌わないけど),どーも最後まで聞いていられなかったけど.

徳島の石は,れき片岩という変成岩が多く,世界的にも珍しい石が多いのだそうだ.

アクセサリーとしての宝石にはあんまり興味はないが,原石は好きだ.土の中に埋まっている状態で,あんな色鮮やかで,あんな不思議な,幾何学的な形に結晶して.なんとなく,雪の結晶を思い出してしまう.形は全然違うのに.

立方体だったり四辺形だったり,針が何本も突き出しているようだったり.丸く磨かれたラピスラズリはまるで地球儀だ.

大理石の板を磨いたやつを小さなキャンバスに立て,「地球作」と名をつけたものもある.自然にこんなものができたのだ.

暗いところで光る石は幻想的で,「天空の城ラピュタ」の飛行石を思い出すのは私だけではないだろう.

記帳をするところがあって,ぱらぱらとめくっていると,もう五度目です,通りかかるたびに来ますってメッセージを残している人もいる.石の博物館の入場券,裏面が再入場券になっていて,次回来館時に入館料が一割引になるサービスをしているのだ.リピーター獲得のためのアイディアだろう.

閉館時間ぎりぎりまで石の博物館でねばり,大歩危駅に戻る.だんだん暗くなってきて,吉野川や両岸を構成する尖った岩たちも見難くなってきている.

このあたりは単線だから,対向列車の行き違い待ちで,駅でしばらく停車することが多い.運転手さんと車掌さんが(そのときはワンマン列車じゃなかった)時間待ちのため,車両の中でコーヒーを飲みながら談笑するような,のどかなところだ.

そこに現れたのは,カメラを持ったご婦人.

「あのう,写真撮ってもいいですか」

なんとなく言葉遣いがへんだけど,たぶん家族の写真を暇そうにしている車掌さんに撮ってもらおうとしているのだ・・・そう,わたしは思った.車掌さんもそう思ったらしく,「ああ,いいですよ」と微笑みつつカメラを受け取ろうとする.

ところがそのご婦人は二人にカメラを向けた.戸惑う運転手さんと車掌さん.彼らはようやく事態を把握したのである.そう,ご婦人は二人の写真を撮りたがっていたのだ.

「え? わたしらですか?」

たしかに,運転手さんや車掌さんを写真に撮ろうという人は珍しいと思う.列車ごと撮るならともかく.なれないことに彼らはややうろたえた様子で,お互いに譲り合った挙句に仲良く並んで写真に納まった.

「いや子供がね,撮ってくれってねぇー,ほら珍しいでしょう,こうやって車両の中に普通に座られているのってねえ」

別にイヤミで言っているわけではなさそうだ.別に,このご婦人は,「くっちゃべってないで仕事しろ」なんて毛頭,思ってないに違いない.

しかし・・・彼らは,ご婦人が去った後しばし顔を見合わせ,運転席に戻った.・・・いや別に,ご婦人に言われたことを気にしたわけじゃないんだろうけど.単に,列車の出発時間が来たってだけのことなんだろうけどね.

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