京都ツアーに参加(2002.12)

大レンブラント展ゆったり見学バスツアー

今回は,JTB主催のツアーに参加してみた.京都美術館でやっている,レンブラント展を見に行くだけのバスツアーである.個人で行くよりめちゃ安い.半額以下である.なんでツアーだとこんなに安いのかな.

年の瀬も押し詰まり,巷は大掃除やら正月準備やらで大忙しなのをよそ目に,自宅から程近いバス停にてバスを待つ.

先月に引き続き,また京都である.前回は京都御所という,日本の古い文化を見学したわけだが,今回はレンブラントという外国の文化に触れてみるわけだ.

バスがようやく着いた.髪の長い女性の添乗員さんがにっこり笑って迎え入れる.バスのシートはほぼ満席.というより,満席に近いくらい人が集まらないとツアーは中止になってしまうのである.安くて当然なのかも・・・.

このバスツアーは,香川県各地のバス停で客を拾ってから,淡路島経由で京都に向かう.わたしの乗ったバス停が最後の停車場で,あとは橋に向かうばかり.

添乗員さんが,ツアーの案内やら自己紹介などをしている.

「スナオのす,ソボクのそ.エバラ焼肉の素のもと」

添乗員さんが突然素っ頓狂なことを言い出した.

は? と思って,添乗員さんを見つめると,彼女は注目を集めながら自分の名前を説明した.三谷素子さん,だそうだ.

バスの中・・・

わたしの席はわりと前のほうで,シートにもたれると,視線の先にはちょうどテレビ画面がある.そこにはカーナビの画面が映っていた.

バス停を出て高速道路に乗り,小鳴門橋を渡り,大鳴門橋も通り,淡路島に入る.田舎のことで,景色の変化もさしてないのだが,カーナビを見ているとけっこう楽しい.じ〜〜っと見つめてしまう.高速のICとかでぐるぐる回ると,カーナビの表示がくるくると回る.ほ〜〜このへんには学校がえらくかたまってるな〜〜とか,変な地名だとか,店がカーナビと微妙に違うな,とか思いつつ・・・しかしこんなので喜ぶとはわれながら安上がりな女だ.

ウチの車にもカーナビつけようかな.でも運転中に見つめたりすると・・・ダメ.やっぱ危険すぎ.

添乗員さんは,レンブラント展の説明を軽くしたが,彼女より,わたしの後ろに座っているグループのほうがよほど詳しいようだった.オランダにこれを見に行ったとか,ドイツで見たとか,図録を買ったとか,かなりアクティブなおばあちゃんグループである.

明石海峡大橋を通り抜け,サービスエリアで休憩を取りつつ,バスは一路,京都に向かう.このバスって,お手洗いがついていないのだ.まあずっと座りっぱなしより,気がまぎれていいけれど.

京都には昼頃到着する予定なので,到着する前にバスの中でお弁当を食べることにした.二段重箱の可愛らしいお弁当で,弁当にしては薄味で美味しい.

堪能しているうちに,やがてバスは京都市内に入ってきた.広い通り沿いのあちこちに,立派な寺が建っている.

京都美術館にて三時間.時間的には,もっとねばれるような気がするのだが,なにぶん年末のこと,JTBは,帰省ラッシュに巻き込まれて大幅に帰宅時間が遅れることを警戒しているらしかった.

まあ,三時間とはいえ,今回の展示作品は40点だから,時間は充分ある.添乗員の三谷素子さんは,もし時間が余ったらということで,三十三間堂とか智積院とかも紹介してくれたが,さてそこまで行く時間があるだろうか?

以下,いろんな国から集めてきた,今回の展示品40点である.

画家としての出発:1626-1631
宦官の洗礼 1626年
宦官の洗礼 1631年
首当てと帽子をつけた男 1627年頃
ターバンを巻いた老人 1627年頃
首当てをつけたレンブラントの肖像 1629年頃
サウルの前で竪琴を弾くダヴィデ 1629-30年頃
笑う兵士 1629-30年頃
毛皮の帽子をかぶった老人 1630年頃
老人の頭部 1630年頃
アムステルダムでの画業の確立:1632-1641
若い男 1632年
ベレーをかぶった若い女性のトローニー 1632年
金の鎖をつけた老人 1632年
ヤン・ハルメンスゾーン・クルルの肖像 1633年
マルハレータ・ファン・ビルデルベークの肖像 1633年
62歳の女性の肖像(アールチェ・ピーテルスドホテル・アイレンブルフ) 1632年
赤いダブレットを着た男の肖像 1633年
偶像ベル神の前にいるダニエルとキュロス王 1633年
扉を持つ若い女の肖像 1633年
目を潰されるサムソン 1636年
ヨアン・デイマン博士の解剖学講義 1656年
東洋風の衣裳を着た男 1633年
鉄兜をかぶった自画像 1634年
善きサマリア人のいる風景 1638年
女性の肖像 1635年
アンドリース・デ・フラーフの肖像 1639年
「夜警」以後:1642-1655
描かれた額縁とカーテンのある聖家族 1646年
キリスト 1648-50年
机の前のティトゥス 1655年
破産と晩年:1656-1669
ベレーをかぶった自画像 1659年頃
円柱に縛られるキリスト 1658年
女性の半身像(ヘンドリキェ・ストッフェルス?) 1660年
復活したキリスト 1661年
手紙を読む僧侶 1660年頃
ディルク・ファン・オスの肖像 1661-62年頃
若い男の肖像(ヤーコプ・ルイスゾーン・トリップ) 1662年
ティトゥスの肖像 1662年?
若い男の肖像 1662年
司法官の肖像 1665年頃
笑う自画像 1662-64年頃
聖バーフォ 1663-65年頃
黒いベレーをかぶった若い男の肖像 1666年頃
ティトゥスの肖像 1667-68年頃
ユノー 1665年

「夜警」以後とか書いているわりに,今回は肝心の「夜警」がないのだが・・・

京都美術館

美術館周りは,おそらくレンブラント展を見に来たのであろう,少し混雑していたが,バスは待つ必要もなく,すぐに入れた.

煉瓦づくりの,立派な建物である.どうせ館内では写真が撮れないので,外側を撮ることにした.本館の前には青いテントがたっており,景観をすこぶる損なっているが,このテントの中でグッズを販売したり手荷物を預かったりしている.

本館 門 灯篭

さすがに人が多い.人の流れに乗るように,本館に入っていく.

入って右手はウェイティングスペースというところで,レンブラントについての説明があった.ほぼ文字だったので,あまりよく見もせずに次の部屋に向かう.

黒い背景に,浮き上がる人物.

何となく悲しげにも見えるが,豊かな表情と,それをつくりあげる,緻密というより精密な画だった.

予備知識が不足しているので,わからない言葉がたくさんあったが(例えば,「トローニー」の意味とか),観客の中には,何度も足を運び,豊富な知識を持つ人もいるようで,そんな人が連れに説明する言葉をそれとなく聞いてみたりもする.しかしそういった便乗を試みる人はもちろんわたしだけではなく,気がつくと,その人は大勢の人に取り囲まれているといった状態である.

展示作品は,肖像画や,それに似た「トローニー」というものが多かったが,着衣のしわ,レース,扇子など,描いたのではなく,貼り付けてあるのではと思わせるほど緻密で色あざやかである.これが350年も前に描かれたものなのだ.

「目を潰されるサムソン」や「ヨアン・デイマン博士の解剖学講座」などは,その緻密さ,色あざやかさゆえに,かえって気持ちが悪くなるほどだった.

レンブラントは,高名な芸術家の例に洩れず,私生活はあまり幸福ではなかったようで,子供のうち成人したのはひとりだけ,そのひとりも自分より先に死んでしまったそうだ.成人した唯一の息子,ティトゥスの肖像が三枚ほどあった.そういう先入観があったせいか,表情は悲しげで,はかなげに見えた.

レンブラントの絵を見ているうちに,妙なことを考えた.絵のタイトルについてである.「描かれた額縁とカーテンのある聖家族」みたいな,絵そのままの,はっきりいってつまらないタイトルが多い.タイトルというより短い説明というべきものである.多くは,レンブラント自身がつけたものではないのだろう.

というより,もともとタイトルなんかあったのだろうか.レンブラントの絵は,誰が見ても一目瞭然,タイトルなんか不要だ.抽象画なんかだとタイトルがないと絵の意味がわからないことも多いし,しゃれたタイトルをつけて,タイトルと絵でワンセットにしてしまうこともあるが.

別館へ.

時間がまだあるようなので,別館にも行ってみた.

ここは,美術館というより博物館っぽい.発掘物なども展示してある.

最近では,日本全国どこに行っても民俗博物館があり,発掘物や古い所蔵物を展示してあるが,さすが京都,よその博物館にあるものとは二段も三段も違う.

なにしろ京都は,土地を掘ったら,重要な文化財がごろごろ出てくるような土地だ.まともに申請なんかしていると,いつまでたっても家が建たないと聞いたことがある.

壺やら皿やら仏像やらを,何だかわかったようなふりをしてふんふんとうなずきながら見て歩く.

異色なものとして,昔,西欧に輸出用に製造された陶磁器などもあった.異国風味のある器に,アルファベットの記入がされていたりする.また,絵に描いたような「宝箱」なんかもあった.沈没船の中で眠っているようなやつだ.

そんなこんなで,うろうろしているうちにあっという間に出発時間.お茶をする時間もない.せっかく添乗員さんが紹介してくれた三十三間堂もパス.

時間はまだ4時前.ちょっと後ろ髪をひかれつつも,京都美術館を後にする.

その後は,義理というかつきあいというか・・・(なんかちょっと意味が違うような気がするが),ツアーと提携しているらしい,「西利」という漬物屋さんに寄り,試食とお土産までもらって,京都とお別れである.

ガラガラな道・・・

帰省ラッシュの影響は,全くなかった.バスは,普段より速いくらいのペースで走っていく.これならもーちょっと美術館にいたかった・・・まあ混雑するかしないかなんて,前もってわからないから仕方ないけど.

添乗員さんは,携帯をしきりに見ている.どうやら道路情報を見ているようだ.便利な時代になったものだ.

わたしはあいかわらず,カーナビを見つめていた.今度は地図が鳥瞰図っぽいというか,斜め上から見た表示になっている.ただし,データがほとんど入ってないらしく,コンビニとガソリンスタンドくらいしか記載されてないのがつまらない.

「まだお弁当には早いですしね〜〜.ビデオでもつけましょうか」

添乗員さん,余計なことを.カーナビが消え,ビデオが始まった.

「パーフェクト・ストーム」ときましたか.また添乗員さんったら,不思議な選択を・・・ちなみに,今回のツアー参加者は,8割方,中年以上の女性である.

カジキ漁の船員の話だった.スランプに陥って無理な漁をする船長.スランプから脱出しかけたそのときに船を襲う,いまだかつてない大規模な嵐,「パーフェクト・ストーム」.船のトラブルは船員たちに無謀な挑戦を強い,救おうとした人々もまた,嵐に飲み込まれていく.そして船員たちを待つ女たち・・・

船員たちは助かるのだろうか.眠る暇もなく,ビデオに見入ってしまうわたし・・・.

・・・つーか,このビデオ,バス停につくまでにちゃんと終わるの!?

二重の意味ではらはらしつつ,北斎の浮世絵みたいなでっかい波に飲み込まれてゆく漁船を見守る.

ビデオが終わったのは,バス停につく2分ほど前のことである.なんつーか,タイミングばっちり.

「はい,ありがとうございましたー.いやーもうはらはらしましたねー,バス停につくまでにビデオが終わるか! 早送りするわけにもいきませんしねー」

三谷素子さん,心配してくれていたらしい・・・.

ふと気がつくと,レンブラントの感動は,パーフェクト・ストームのはらはらにすっかりすりかえられていた.やっぱり三谷素子さん,選択を誤ったと思う・・・

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